序章 フードテック革命に「日本不在」という現実
冒頭、筆者たちが、2016年に開催されたスマートキッチンサミット(引用元: https://www.smartkitchensummit.com/)にて、食(主にキッチン領域)とテクノロジーの融合の進化を肌で感じ、驚愕するところから、この本は始まります。
そこでは、料理のレシピがプログラム化(数値化)されており、IoT技術によりインターネットに接続された家電たちが調理をコントロールする「キッチンOS」というものが存在・実装されていたそうです。
確かに、私もたまに料理をしますが、「切る」はともかく、調理には「焼く」「炒める」「煮る」「揚げる」「蒸す」など様々な工程があり、どれも結構シビアな温度や時間の管理が必要です。
妻が具材の様子を見ながら火加減や出来上がる時間を調節しているのに対して、いざ自分でやってみる段になると、日頃の経験値が少ないため、調整に失敗することもあります。それこそ、複数の料理を同時に仕上げる(出来立てを食卓に提供する)ことなど、夢のまた夢。
「キッチンOS」は、毎日料理をしない私でさえも「必要じゃないのか」と思うに足る考え方です。
ただ、このサミットで取り上げられている「スマートキッチン」という考え方は、次世代のキッチンにおけるITやアプリケーションの重要性を模索することだけにとどまらず、
キッチンを家電の領域だけではなく、その先にある食品全体の在り方や生活者の行動までを含めた話であり、そこにデジタルテクノロジーを入れることで実現する「食の未来」を語るエコシステム (本文 p003)
を創造することまで視野に入れているようでした。
今まで、アナログ主体であった「食を生産すること」や、「調理すること」、「食すること」について、膨大な情報を収集し、個別に分析し、適宜アウトプットすることにより、食という「モノ」「コト」に革命的な進化・発展を起こすことが、「フードテック革命」なのでしょう。
このフードテック革命を支えているのは、昨今、能力とスピードが格段に上がり、世界中の端末間での情報のやり取りが容易になり、そして導入コストが劇的に下がったIT技術であることは、自明の理な気がします。
そして、2016年時点ではありますが、日本企業がこのフードテック革命の中でまったく存在感がなかったことに、驚きとともに残念でなりません。
筆者は、その光景を、日本独自の高性能な進化を遂げていた携帯電話(ガラケー)が、iPhoneの登場以降、みるみるうちに駆逐されていった姿と似ている、と不安そうに記しています。
iPhoneは、単なる機能進化だけではなく、そのデバイスに音楽・カメラ・便利なアプリ・を統合することにより、携帯する電話ではなく
日常生活がまさにスマートになる体験の進化 (本文 p006)
に代わっていったのだ、と。同じようなことが食文化にもいえるのではないか、と。
確かに日本は、食に対する安心・安全、または鮮度・清潔への意識がかなり高い国ですし、食品や外食分野を見渡してみても、多種多様な味つけや食材、安価で簡便、さらに美味しい商品に溢れています。日本人の何事に対してもこだわり抜き、誠実であろうとする姿勢が食にも表れているのではないでしょうか。
このように豊かな食経験を享受している日本人が、植物性代替肉を食することやスマートフォンで家電を操作することに対して、どれほど価値を置くのかは疑問です。
しかしながら、「食」というものに対する価値観も、他のすべてと同様に、時代とともに変遷していくものです。今、私たちが、「当たり前」と思っていることが、未来永劫の真理であるとは限りません。
味や機能が進化している裏には、サイエンスと食の融合、フードビジネスとしてのプラットフォームの勃興、そしてライフスタイルの中での「顧客体験」に価値創造の主軸が移りつつある。 (本文 p007)
今こそ、私たちの一番身近な存在であり、人類が生まれて常に考え続けられていた「食」に対して、加速度的に進化している科学・情報技術を利用することが必要とされる時代なのではないでしょうか。
次回からは、本文に入っていきたいと思います。



コメント